KIYOSHI.HASEGAWA MAXIMUMART
Works of Art 3D
This is ra-men kaleidoscope.
サイズ可変 (旧富山市立小羽小学校 校長室)
鉄、プラスチックス、木、ゴム、岡持ち、インスタントラーメン
2015年2015.10 「This is ra-men kaleidoscope」神通峡美術展 北日本新聞社賞
私たちの目の前にとつぜん現れる人生の分岐点。善悪の判断や、日常のささいな判断(ゆで卵は塩味かマヨネーズか?)から大きな大きな決断(このひとと一生やっていけるのかどうか)など、私たちは常にセレクションに迫られている。普通、私たちはその選択を1つにしか絞れないと考えてしまう。結果、失敗と成功を感じることになる。かくいう私は「手に負えない無限」を求めて、これまでいくつかのセレクションをし続け、今ここに立っている。
人生における失敗について、すべてが結果オーライと言えるかといえば、そうとも限らない。それはおそらく気持ちが持ち上がった時に、過去のことを振り返り、今が幸せだとあの時の苦労があったから…というような感じである。そうではなく、挽回もできずに苦しみが慢性化してくるととても辛い。だからそうならないように努力する。ひとつひとつのセレクションがとても重要になってくる。年齢を重ねるごとに、だ。いや、経験が豊富になってくるとセレクションの技術が高くなってはくるだろう。なのでつまずくのはいつも自分のキャパシティをちょっと超える判断に限られてくる。それはどういう時かというと、未経験、つまり見たこと、出会ったことの無いものとの遭遇の時である。すなわち「こんなはずじゃなかった〜」と・悔・や・ん・で・い・る・時・こ・そ「手に負えない無限」に対面した時だと、、、そうだったんだと後になって気づいた。 作者の手記より。
解説のようなもの:今回の作品は、まぁひとことで言えばラーメンです。私がこのようなラーメンを作るのは、作品とそれ以外のものの違いは何であるかを問いかけるためであります。つまり私が作ったものは何でも私の作品なのかという問いかけでもあるのです。この場合、作品かどうかは鑑賞者ではなく、作者次第という意味合いが強いのでしょうが、食べてしまい、自分の一部に吸収されてしまうという構図は、享受するという意味において、「食する」とは制作された作品を鑑賞するということと同じなのではないでしょうか。そう考えると、このラーメンを作品にしているのは鑑賞者なのかもしれません。このような「作品」と「それ以外」に分別されてしまうものたちの不安定さが、私の作品の動力になっています。
2013.4 個展「とつぜんですが、さっきのつづき」新宿眼科画廊
This is a pinkmechanism 4.場合によっては無題だったような気もするし、 そうでなかった気もするし…ねぇ、きみはどう思う? もし、気づいたことがあれば<私>までメッセージを 送ってくれないkaleidoscope2013.
h.1500×w.2800×d.2800mm
鉄、プラスチックス、木、ゴム、ピンク、返信をアテ(ate)にしないで待ってる長谷川清
2013年
数々の動く仕掛けを取り入れた作品。込められたメッセージを解読するとピンク色に光る万華鏡に辿り着く。しかし、そこで全ての謎が解けた訳ではない。読み解けない迷宮のなかで暮らす事。作品に関わり続ける事、考え続ける事によって閃く「気付き」は人それぞれ違うという意味において無限の可能性がある。鑑賞者からの返答である「気付き」を食べた(ate)ことにしないで(つまり〈同〉としないで)待つ作者という意味のタイトルをつけた。
Disc wheel kaleidoscope
木、鉄、プロジェクター
エビ フライ
電磁石、紙
つまり浮くとはこういうことだ。
物理的にも形而上学的にも浮くことが好きですね。
This is aしらはまはるkaleidoscope目黒通り on the head.
ミニ四駆、ラジ四駆ユニット、セーフティーヘルメット、ポリプロピレンシート
白濱さんお気に入りの道路「目黒通り」が頭の上でぐるぐる回ります。
(photo:沼田 学 model:白濱 はるか)
This is micro kaleidoscope
h.150×w.50×d.50mm
鉄、プラスチックス
This is micro kaleidoscope 2
h.150×w.50×d.50mm
鉄、プラスチックス
制作協力:マツキ製作所
w.w.s.w. (wold wide sky web)
h.1000×w.30000×d.30000mm
鉄、木、ビニールテープ
「八尾スローアートショー」 樫尾小学校
ラーメン
h.150×w.200×d.200mm
麺、チャーシュー、ナルト、メンマ、葱、温かいスープ、塩胡椒
episode1 これは作品とそれ以外のものの違いは何であるかを問いかける作品である。もしくは私が作ったものは何でも私の作品なのかという問いかけでもある。この場合、作品かどうかは鑑賞者ではなく、作者次第という意味合いが強いが、食べてしまい、自分の一部に吸収されてしまうものは、そうでないもの達と区別できるのだろうか。区別した上で、かつ境界線を取り除いてものごとをとらえていかなくてはいけない。昼食として食べてしまった。
episode2 ラーメンが作品だ、と言うことはそれらが「作品」ではないと思われていることが前提となっており、つまり、それらの概念に作者自身もまだまだ縛られているということだ。
episode3 ラーメンを食べ、スープをのみほした後に、ステンレス製の丼をひっくり返し、裏底の造形に目を向ける。小さな穴が開いており、覗くと鉄格子に囲まれたベットのある部屋(監獄)が見える。牢屋が見える=その人はすでに牢屋の外にいる→牢屋から出ている。→つまり、あなたは何ものにも囚われてなどいない
This is a pink kaleidoscope.
h.1000×w.3000×d.3000mm
鉄、TVモニタ、カメラ、鏡、プラスティックス
This is a pink kaleidoscope2.
h.1000×w.3000×d.3000mm
鉄、TVモニタ、カメラ、鏡、プラスティックス
四方向から参加して鑑賞することができる万華鏡である。三方向に座った人がそれぞれのハンドルを回すと中央に取り付けられた五角形に鏡を組んだ万華鏡に、色セロファンで飾られた自転車の車輪が映り込み、中央上部に取り付けられたデジタルカメラがその映像をキャッチし、正面のモニタに映し出される構造となる。万華鏡の映像を見る者と、それを操作する者とに二分した作品でもある。
また、”2”では回す人も含め、あらゆる人が中の映像を見ることができるようにした。
chess set
h.200×w.150×d.150mm
ナイロン(ポリアミド)3Dプリント、木
chess set
h.30×w.150×d.150mm
アクリル板をレーザーカッター
エビフライ
段ボールや鉄やスポンジなど
ついに伝説の剣をみつけたぜ!え?君も持ってるの?あ、そういえば僕も持ってたよ。
h.3600×w.3600mm
h.1400×w.760×d.350cm
h.1200×w.350×d.350mm
h.900×w.1230×d.50mm
紙にインク、木、鉄、磁石、プラスティックス、鉢、サンセベリア、土、アクリル塗料
2012年
11POINT展 BOX KIOKU(青梅織物工業協同組合施設)
episode1 誰もが持っている剣、物事を分割する心をテーマに制作。「善と悪」や「成功と失敗」といったような判断は、場面によって違うのでマニュアル化出来ない。いろいろな経験をし、成長していく途中で、突如遭遇する閃き、まるでレールの上を歩いていた時に、突然真暗闇に吹き飛ばされるスリル。そして、レールの上には簡単に戻る事が可能なのにも関わらず、閃きのスリルに身をゆだねてしまう冒険心と寛大さ。この戦いの記録。
episode2 伝説の剣とは不動明王が持っている剣です。分かりやすくいうと善と悪を分つ剣です。もっと分かりやすく言うと物事を良いと悪いに決定する(判断する)あなたの心のことを言います。
つまり、それは誰もが持っているのです。
ほら、あなたももっていたでしょう?
しゃーなしで無題。ところでドーナツはおやつにはいらないんですかレイドスコープ2012.proxy(串)
h.2800×w.2800mm
布パッチワークをジョイント、銅、ブリキ、段ボール
私にとって一番最初のマイ・イデア、それは「1+1=2」。
「ていうか無題。S:いつもギリギリだな。J:間に合っているからいいじゃないかレイドスコープ2010」
h.210×w.100×d.100cm
鉄、木、紙
はじめは万華鏡の仕組みを使い無限を表現しようとしていたが、その鏡で囲われた内側の空間は結局限定された範囲で、それはつまり無限ではなかった。そのこ とに気付いてから、私は、鏡を透明にしたり、チェンバーに穴を開けたりして外の空間も意識出来る様な作品制作へ移って行った。そして、今、そもそもみんな 無限の外に居るという事を示唆するように…。
覗くと(狭く閉じられた)小部屋が見える作品を制作した。これは、はじめにやっていた内側の限定され た空間を敢えて見せることによっての今自分はその外に居る!ということを思い出させる作品になったといえる。一回りしてまた、閉じられた空間を作る事に なったが、問題意識としては一つステップをのぼったと思う。
例えばムダしか無かったとしても。もしくは、人とムダが与えられたとせよ。
h200×w500×d500cm
マット、鉄、スピーカー
2007年
episode1 私は以前よりものとものを繋げることが制作することだと考えてきました。それは統合という形ではなく、あくまでそれぞれはそれぞれ同士、しかし、共にここに在る。という仕方をテーマに研究してきました。
「何かは必ず何かの続きである」
何かを作るということは、必ず何かを始原にせずにはいられません。馬のような形を作る時は何より馬のことをよくわかっていなければできません。ルールを破っていくためには何よりもルールのことを熟知していなければできません。そういう意味で何かを思うことは何かを知っていないとできません。つまり「新規」というものはなく、すべては何かしらのカスタム品でしかないと言えるでしょう。そんな中、私は私にとって新しいものに出会うことももちろんあります。その瞬間、私は以前の私とは違う私になります。以前の私にはできなかったことができるようになった新しい〈私〉になっています。そういうし方で私は、また別の私になっていくのです。私はこれまで色々な素材、思想を組み合わせて制作することを「ジョイント」と言ってきました。「統合」ではなく、それぞれが生きる仕方で、だがしかしそれらは共に在るということです。それぞれの無限の可能性を殺さないようにして一つに統合したりはせず、それぞれがそれぞれでありながらも、それでも作品は作品だというあり方、私が私であるのにもかかわらず、私を超えた私は以前の私ではないということ。それは結局、私がいかにして〈明日〉を迎えるのかということであり、未だ把握できない他者と、通りすがりの人と、隣の席の人と、同じ世界の人と、または違う世界の人と、どう対面するかということだったのでした。それが「ジョイント」自分以外の〈他〉と共に生きるという事です。 どうぞごゆっくり迷宮を探索していただければ幸いです。
episode2 この作品の一番の特徴は「中心がない」ということである。それぞれがバラバラにジョイントされていて数々の仕掛けとともに鑑賞者に謎を問いかける。作者の思いを表現するというよりも、その場その場で思い付いたことを次々に追加し、本人でさえわけのわからないものを目指した。椅子に腰掛け、ハンドルを回すと色々な車輪が不定期に回りだし、遠くから映像を覗きこめるようにしてある。
I.E.S. kaleidoscope
偽物と本物の違いはどこなのだろうか。
相対主義の乗り越えは可能か。
0-2-3-4-5を満たす為に
h150×w150×d150cm
鉄、ステンレス、紙、プラスティックス、CD、お菓子、玩具
2004年
無限の世界を表現したくて鏡で覆われた世界である万華鏡の構造を取り入れて制作したものである。直径30cm、長さ150cmの筒に鏡を三枚はめ込んだもので、一般的な万華鏡のチェンバー(ガラスやビーズの入るケース)の中に日常のカオスを封入した。結果的に汚いジャンク品の束にスポットライトを当てた万華鏡を覗くにもかかわらず、きらきらと輝く中身とは対照的な映像を得ることになった。
タイトルの数字は各次元(0,2,3,4,5次元)という条件を満たすものとしての作品だということ。
Earth Kaleidoscope
宇宙から地球を万華鏡で観てみたい。
海を見に行く
episode スカスカと穴が空き、抜けて行く。骨もきっとそのようにして崩れて行くのだろう。
私は再びこの地に立った。今度こそぬかりはしない、と心に誓い、時を待った。
迷いとは別の所で、幾多の戦いが繰り広げられる。そんな戦場を全く予想だにせず、意識もせず日々を過ごしていた。
ただ、自分のことしか考えて来なかった自分に激しく嫌気が差し、寝癖を逆手で押さえ撫でながら、私はバイト先のキャフェで掃き掃除をしていた。
「いつからこうなってしまったのだろう…」
あれ程熱心に取り組んだ課題も、もうどうでもいいように思われた。なぜだ。なぜこうも私の心は乱れるのか。
私は休暇を取って、海を見に行こうと思った。しかし、そう簡単にはいかない。次から次へと押し寄せる仕事。
稼いでも稼いでも、消えて行くお金…
何もかもうまく行かない…
フラストレーションが溜まるというやつだな。これは。
どうしても海が見たい。なぜだかはわからない。
だが、私はこれまでことあるごとに海岸へ行き、押し寄せる波を見るのだった。
波を見ていると、心が落ち着き、日々の苦労もどうでもいいことのように思え、心が空っぽなる。
そして、なんだかやる気がみなぎってくるのだった。
だから私は海が好きだった。荒れ狂う波、はじける泡、特に日本海が好きだったのだ。
なのに、ここはいったいなんだ!?すっかり遠くへ来てしまった。
みんな!どうもありがとう!
次から次へと押し寄せる仕事の波。
稼いでも稼いでも、泡のように消えて行くお金…
「はは、ここは既に海のようだ」
私はふっと笑った。
ビルの屋上の手すりはまだまだ信頼できないが、大空を見上げるのにはうってつけだ。
「交通事故にあったり、病気になったりと、生きる死ぬを考えさせられる出来事がいくつかありました。
その中で私は、やっぱり生きたいと思うようになりました。
私にとって受け入れられやすい作品を作るということは死ぬということです。どうやっても作ることが出来ませんでした。
作った後で何か話せと言われたのですが、うまく言い表せません。いままで何か答えがあり、それを見つめながらしゃべっていましたが、今回はなぜかわからないでいます。でもわかりたくて、こたえがなんとかつかめそうで!それらを求めていま、ここへやってきました。」
崩れた骨は以前よりも丈夫で太い形で再建する。今はそういったものを信じる事にした。
身も心もスカスカだけど、それしかないし、それでいい。
「大事な事って忙しさの中に埋もれてしまったり、疲れちゃったりすると、こうやって消えてしまうんですよね。
私もそうです。大事なこともいつも見落としてしまいます。だから、忘れてしまわないように、ここに録音しておきます。」K 2013.1.6
カレイドスコープ
永久機関のようなもの
トランスフォームマン東京へ行く